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高木佳子歌集『青雨記』

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高木佳子さんの第二歌集『青雨記』(いりの舎)を読む。
いい歌が本当にたくさんあり、書きたいこともたくさんある。

何から書いていいか分からないほどなのだが、『青雨記』の歌を、ひとことで言うとすると、とても「かっこいい」歌だ。

いろんな歌に、何度もゾクゾクさせられながら読んだ。

最近は、どちらかというと、あまりかっこつけない歌が流行っていたように思うのだが、『青雨記』の歌には、前衛短歌の頃の歌のようなかっこよさがある。

短歌の流れが、少し変わって来るかもしれないと思った一冊だ。

静脈の青を思はす空のもとプール開きの旗(フラッグ)は立つ
Rien(何もなし)とぞ日記に記しし王のこと思ひぬ繊き雨の朝に


一首目、プール開きの旗というのは、いかにも日本的な夏の風物詩なのだが、旗を「旗(フラッグ)」とルビ付きで表記することで、一気に無国籍な感じの風景が立ち上がってくる。

二首目、「Rien(何もなし)」はフランス語。「王」はたぶん中世の王様だろう。平凡な雨の朝から、中世の王の日記まで、かろやかに跳んでゆく。

日常から発想しつつも、日常に埋没しない。そんな歌への向き合い方が、とてもかっこいいのである。

文語をベースとした文体も、歌のかっこよさの源になっていると思う。

「poule au pot(鶏のポトフ)」という連作もとても好きな一連だった。ポトフを作るという料理の歌なのだが、料理をこんなに詩的に詠えるものかと度肝を抜かれつつ、なんだか泣けてくる一連でもあった。ここでは引用しないので、皆さんぜひ歌集を手に取って読んでください。

他にも、例えば次のような歌がいいと思った。

海を見にゆかないのですか、ゆふぐれを搬び了へたる貨車がさう言ふ
芒いま手のかたちしていつせいに指し示すなり風のゆくへを
ゆくらかに点灯夫来て空の鳥海の魚を灯すゆふぐれ
ママいいよぼくこのままでいいと吾子は言ふなり本当にいいか
をのこごは散髪反対と叫んでゐた原発反対に飽いたのだつた
魚(うろくづ)よ、まばたかざりしその眼もて吾らが立ちて歩むまでを 見よ




写真は先日食べたアイスクリーム。私はお酒が好きで、普段はあまり外でこういうものを食べることがないのだが、時間調整のために入った新宿の喫茶店で、ふと頼んでしまったもの。たぶん十年ぶりくらい。記念の一枚。

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