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矢後千恵子歌集『非時』

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矢後千恵子さんの第二歌集『非時』(本阿弥書店)を読む。

タイトルの読み方は、ときじく。

寒に身の置きどころなき一月や星辰ただす天のみじろぎ
砂風呂に無援の五体あたたかし埋め残せる春寒むの顔
芋焼酎甘きにうるむ春灯にフカの湯引きの骨こりと噛む


一首目のような大きな景を捉えた歌は、俳句も嗜まれる矢後さんらしい歌。結句の「天のみじろぎ」に俳味を感じる。二首目は、さらにユーモアの方向に踏み込んでいる。砂風呂に入った身体を「無援の五体」というのが面白い。三首目は、芋焼酎もフカの湯引きも、なんとも美味しそうなのだが、やはり上の句の「甘きにうるむ」の「うるむ」が効いているのだろう。視界が一瞬もやっとしてきたところで、下の句の「こり」という歯ごたえ。左党にはたまらない一首。

二十年ぶりに泊りし娘の家におおつごもりの雪をよろこぶ
裏木戸はこわれたままに年を越し枇杷も八つ手もひそやかに咲く


一首目の歌は、かなり久しぶりに泊まった娘の家で、大晦日の雪を喜んでいるという歌。何も特別なことは言っていないのに、この歌にとても惹かれるのは何故なのだろう。「家」というものの温かさが、一首の背後から伝わってくるからだろうか。二首目もとても好きな歌。本当はお正月までに直しておきたかった裏木戸なのに、ドタバタしていて手が回らなかったのだろう。壊れた裏木戸を、枇杷と八つ手がひっそりと彩る。こういう美意識には、とても共感を覚える。どこか俳句的なところが、この歌にもあるかもしれない。

他には次のような歌に惹かれた。

人の行く道が恵方と人波に乗るも目出度き門前通り
羊羹を買わねば明けぬ新年の成田の坂を上って下りて
寝台車〈出雲〉に仰ぐ星の数こころはすでに神に傾く
捨て切れぬふるさとを持ち母を持ち男はだんだんいい顔になる
幾たりの死を看取りたる医師なりき今死者としてしんと眠れる
べそかくんじゃないよと風が背ナを押すおまいはつおい女の子だろ




写真は夏に群馬に帰省したときに食べた「峠の釜飯」。駅弁としては全国的に有名。具が地味なので、子どもの頃はあまり好きではなかったが、最近、妙にこういうものが美味しく感じるのである。

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